どーも。のなです。 ベルギーの観光リストには出てきませんが、世界大戦などの歴史に興味がある方ならベルギーにもいくつか戦争関連の見学場所があります。
小国ベルギーは第一次、第二次、ともに近所の大国の戦争に巻き込まれれてたくさんの重要な建物がこわれ、多数の市民がなくなっていますが、ベルギーで戦争関連の場所というとイーペルとブレーンドンクの二つがあります。(上の写真はブレーンドンクの入り口)
<イーペル>
猫祭りが有名なイーペルですが、実は悲惨な戦いのあった場所としても有名です。
第一次世界大戦で毒ガスが使用され、何全人という方がなくなったイーペルの戦い。
また、戦没者をしのぶときに身に着けるポピーの花はカナダ人の軍医だったらジョン・マクレー (John McCrae 1872 – 1918) が書いた『フランダースフィールドで (In Flanders Fields) という詩に由来しています。
私もベルギーに来た当初、ポピー畑があるのかと思いイーペルに行ったことがありますが、戦争の博物館など、興味深いものがいくつかありました。
<BREENDONK>
さて、今回いってきたのはBREENDONK、第二次世界大戦中に収容所として使われていた古い要塞です。はずかしながら、その存在を全く知らなかったのですが、今度ポーランドのアウシュビッツを訪れる予定があり、海サバなかまのクレープちゃんが、まずここに行った方がいいらしい、ということで急ぎ見学しに行ってきました。
駐車場からみた全体像。周りはお堀でかこまれてます | 入り口。左側に受付があります。 |
BREENDONKは第二次世界大戦中にナチスによって使用された強制収容所。厳密にいうと強制収容所ではなく、刑務所になります。フランドルの協力主義民兵組織とドイツの親衛隊部隊によって警備され、政治犯、レジスタンス、ユダヤ人などが収容されていたましたが、劣悪な環境と拷問や処刑で悪名高かったそうです。
入口の門についていたサインですが、なぜに真ん中にどくろ??
すでに恐ろしいんだが。
戦時中には3500人ほど収容されていました。そのうちの300人近くがこの収容所で亡くなっており、残りは他の収容所へ移送され亡くなったようです。
解放されたのは1994年の9月だそうです。
収容所は過酷な労働で悪名高かったようで、要塞を覆っていた土砂を手作業で撤去するという仕事だったそう。当時の風景が写真で残されてました。
ビデオも見たんですが、とにかく「早く、早く」と常に急き立てられていて、一秒たりとも休む暇がなさそうでした。
ユダヤ人の収容者は他の政治犯とは隔離され、ここはアウシュビッツへの通過点となっていたそう。
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- 入場料は12ユーロ
- ブリュッセルからは車で20-30分ほどです。
- ガイドツアーもありますが、オーディオガイドも無料で借りられます。
- トイレは入口に一つだけなのですませてから回りましょう。全部回ると2時間はかかります。
驚いたのは説明がとっても細かいこと。 ここの職員だったフランドル親衛隊の人の写真の前で一人づつどんな人で最後はどんなふうになったのか、と説明してくれます。
普通に写真を見ると若いお兄ちゃんだったり、普通の人っぽく家族といっしょに笑ってるのに、どうしてそんな残虐なことができるのか、、、
人間の精神が狂っていく、そんな環境がおそろしいです。
職員の方の精神もくるっていきますが、こんなところの生活は体だけでなく精神もやんでいくのだろうなぁ。精神を病んでしまうと生きる気力も生き残る気力も薄くなりそう。
当時のビデオをみると5時半起床、顔を洗ってベッドメイキング。麻袋からはみだしたわらを詰め込んできれいに四角く整える。これを5分くらいでやるみたいですが、時間がかかるとそれだけで拷問を受けたようです。 それにしてもベッドメイキングをさせるってなんかドイツ人というか、几帳面だなと思わずにはいられませんでした。
長くて暗くて寒い廊下、、、ここでの生活は想像できるようなものではありませんが、それは確かにここにあったんだな、人間は恐ろしいな、という思いがひしひしと湧き上がってくるような場所でした。
過去から学んだはずなのに、今もまだ戦争が起こってしまうこの世の中、やっぱり世の中一番怖いのは人間だなぁと思わずにはいられません。
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